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佐々木小次郎の「物干し竿」(下)

さて、その「物干し竿」を使うのが燕返しと称する秘剣であるが、資料にはない。名称から想像するに、猛禽に襲われたツバメが体をさっとかわすように飛翔するが如く捌く太刀なのであろう。小次郎に関することは、そのほとんどが武蔵側の資料によっている。この燕返しが出てくるのは「花筏巌流島(1746年浅田一鳥作)」以降のものである。岩流という流儀がある。「秘太刀に一心一刀あり。大太刀を真っ向に拝み打ちするようにて、つかつかと進み、敵の鼻先を目付にして、矢庭に平地まで打ち込むなり。」「打ちなりに屈(かが)みいて、上より打つところを担ぎ上げて勝つなり。」と「撃剣叢談」にある。

小次郎と武蔵の試合で、小次郎の初太刀はフェイントであった。彼は返し太刀をねらっていたのだ。ところが、小次郎の長剣より1尺5分(約30cm)長かった武蔵の木刀は、小次郎の初太刀を外すと同時にその頭を割った。小次郎は倒れながら燕返しの太刀で横に払い武蔵の袷(あわせ)を3寸ばかり切った。武蔵は一撃で小次郎との勝負を決したのであった。

吉川英治の「宮本武蔵」は「二天記」をモデルにしている。その英語版を同夫人が、中曽根康弘の別荘(日之出荘)でレーガン大統領に日本の記念品として贈っている。現在アメリカでは、「アメリカ版ムサシ」が好評のようであるが、西ドイツでは騎士道と違うということで、評判がよくないらしい。アメリカで受けているのは、勤倹・努力・一匹オオカミ・独立心など、プロテスタントの倫理観に似ているからではなかろうか。

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