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腰の廻りと江戸柳生躰之術(中)

徳川家の老中、若年寄なら300諸藩に対する目付の指導などいろいろな任務があり、幕藩体制の中では参勤交代のほか藩の用務で江戸との事務連絡も多かった。上に立つ者は、任命された部下が出発する旨挨拶に来た時、「アソゥか!」などと素っ気なくしてはいけない。かと言って「水に注意、食事、酒を慎み・・・」等は自分の両親、女房などから言われている。同じ言葉は聴く方でわずらわしい。そこで監督者として上記の例だと第1か条の応用技法のうち相手が知らない技を教えるが如く、自宅・友人・同僚も教えてくれなかった道中心得を教え、世襲により上役になった者の心遣いを示すのである。これは単なる例え話ではなく、武法とその意味、つまり「大東流でいう解釈総伝」である。
昔の道中は病気が最大の危険であったが、大阪や江戸の繁華街では掏摸(スリ=人込み、往来、乗物の中で、金品をかすめ取ることで、ちぼ、ちゃりんこ、巾着切りとも言う。)も多かった。スリは逃げる時人混みを利用するので、繁華街を活用した、狙われたのは旅行者や武士であった。また、護摩の灰という旅人の姿をして、道中で、旅客の持ち物を盗み取る盗賊もいた。これは、元来、密教で、護摩を修する時に焚く護摩木などの灰のことであったが、高野聖(こうやひじり)の扮装をして、弘法大師の修した護摩の灰と称して押売りを行なった者の呼び名から転じて、旅人を装い、旅客の金品を盗み取る者の呼び名となった。ゴマの上にいるアリは黒くて見分けがつきにくいので胡麻の蠅とも言った。同様に、破落戸(ゴロツキ=住所不定無職であちこちをうろついて、他人の弱みにつけこんでゆすり、嫌がらせなどをする悪者)や、ならず者、無頼漢、無法者の存在の話をする。上役は若殿である(将来は三万石)、下々の話をよく知っていることに若侍は驚き、このことによって尊敬されるのである。

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