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西郷頼母と大東流1

鶴山先生のメモです。途中で脱線したり、既述の内容と重なる部分もありますが、お楽しみください。
 
大東流という武術が世間に知られるようになったのは、武田惣角が伝承指導を初めてからである。惣角は最初、小野派一刀流渋谷東馬門人として「英名録」を持ち歩いた。その内容は、撃剣の試合めぐりである。2冊目の「英名録」から保科近悳(西郷頼母)の門人となり、進履橋の巻物を持ち歩いた。すなわち、大東流は西郷頼母から伝えられたということである。技法的にみると合気柔術の中には確かに江戸柳生の技法が含まれている。それでは、惣角は大東流の全技法を頼母から習ったのか? というとそうではない。例えば、柔術は諸流派の技法を詰め込んで再構成しているし、頼母の身分と年齢からしてその全体を改めて稽古したとも思えない。
惣角は大正11(1922)年4月に京都の綾部に行くまで、東北と北海道しか巡回していない、これは「英名録」から明らかである。旧会津藩の名が知れ渡っている地域であった。

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