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槍と合気道7

奇しくも彼らの意見から、容易に推測されるようにその後の合気道界の動きは、それぞれの考え方を代表する合気道組織が大きくなるにつれ、植芝総本部とそこに帰属しない人たちとの間で、指導者間における指向の混濁化が益々増幅され、合気道戦国時代ともいえる状況にある。

例えば、東京の実例をあげれば、関野さんの質疑である「刀と合気道」に対応する剣操法を教えているところもあれば、中には対武器による試合化を研究しているところもある。更に、武道の前提条件である当身や対武器の技もなく全くの踊り化した動きだけのグループもある。各指導間における対立する指向にも、共通するものが二つある。その第一は、いずれも植芝盛平先生の門人であること。第二は大東流合気柔術の基本技を使用していること、である。しかしながら、このように誰もが気づく程、問題がはっきりしている、同じ植芝門下間の合気道感の相違は、なぜ起きたのであろうか?

これは単純に戦前派と戦後派の断絶だけでは片付けられない問題が含まれているからである。特に戦後派の師範の間で、合気道に対する認識上の相違がはっきりしていることを見てもよく判る。
現状のような合気道認識の混乱はなぜ起きたのか?関さんの質疑に答えるためにも、更に突っ込んだ分析が必要である。

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