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骨法の堀辺が来た(続)25

(承前長野君の手紙)
柔術や拳法事始めを神話時代に求めることは愚かしいことです。
古事記の天孫降臨とは「大和朝廷の支配は“国譲り”によるものであって、武力支配ではない」ということを主眼とした神話ですから、建御雷(たけみかづち)が使ったものは“柔術”の技であるとか“相撲”の技である、と言い立てる方がおかしいのです。神話を作った“語り部”はそんなことは考えていないでしょう。だいたい神様がどうして柔術や相撲の技を必要とするのでしょう。

ところで『近代空手』には、「やわら医術」という柳生心眼流の島津賢治氏が連載している記事があります。御念入りにも、ここでも上記神話を引用しています。島津氏は建御雷之神が使ったのは、柔術の取手と受手の技法であったなどと言っています。文字面からの解釈からそう思ったのでしょうが、その無根拠なことは堀辺氏の主張と大差ありません。
以上が、堀辺正史氏が『近代空手』の中で発表した「骨法の歴史」と神話に関連した事項に対する私の主な見解です。
時節柄、くれぐれも御身お大切に                 拝具
 鶴山先生へ    
                    長野太郎(長野君の手紙終り)
 
以上がT君のレポートと長野君の手紙である。このレポートも連載を始めてから18回目となった。堀辺氏の骨法の連載も既に打ち切りになっていることだし、必然に私のレポートも続報する意味を失った気がするので、この号で終りとする。(完)

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