見出し画像

やわら(柔)という呼称

柔(やわら)の言葉を最初に使った人は関口流柔術の創始者である関口柔心ではなかろうか、と鶴山先生は語っています。

関口弥六右衛門氏心(うじむね)号柔心は、林崎甚助から居合いの伝を受け、三浦与次右衛門義辰(よじえもんよしとき)から組打の法を教わり、諸国修行して長崎で中国の拳法・捕縛の法をよくする老人からこれを習い、これより工夫して関口流柔術を創始しました。

初め大和郡山の本多家に仕え、1639(寛永16)年に紀州藩主徳川頼宣(南龍公)に招かれ仕えました。
柔心は術の教法は立てたが、術の名義を何とつけていいか分らなかった。
そこで、南龍公の仰せがあって儒者などで議論させた上で、柔(やわら)とい名を付けてもらった。と伝わっています。

鶴山先生のメモによると、柔(やわら)に解釈について、
ここでの柔(やわら)とは、柔順と続く文字で、人の気質について言えば、何事も自分ということを忘れ、万事につけ人に従い人に逆らわないことを意味しているから、この身の形無く、心のままに自由に働き、心次第が主題となる、ということを主眼として「やわらか」という和訓を下略して「やわら」とした、と意訳する人もいる。が、ここはやはり剛に対する柔、また剛は鋼に通じ剣法につながる、すなわち剣を使わない武術の意味で柔法と解すべきであろう。としています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?