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沢庵和尚28

(承前)さて、初心の住地より修行して不動智の位に至れば、また初心の位へ戻ってくる。剣術で例えると・・・
初心者は太刀の構えも何も知らないから心の置き場所もわからない。相手が打ち込んでくれば、ただそれに何も考えず対応するのが精一杯で、心をどこかに止める余裕もない。しかし、様々な事を習い、身に持つ太刀のとりよう、心の置所、いろいろの事を教われば、色々の処に心がとまり、考えすぎて逆に不自由になる。そこから、日を重ね年月をかさね稽古するにしたがって、身の構も太刀のとりようも、みな心にかからなくなり、初心者の時の心の様になるのである。つまり、初心者と達人の心は似たものになるという道理なのである。
補足説明:レベルの差こそあれ、ここで説かれていることは、何となくわかるのではないか、と思います。
ところで、鶴山先生は、初心者も経験者も区別なく同じ技を指導する方法をとっていました。また、初心者だけとか経験者だけで組むことも避け、いろいろな組合わせ方で稽古させていました。形をなぞる表面的な動きは同じでも、その動きを生みだす背景は全く異なる。そのことを理解させたかったのでしょう。先生は、講座はスパイラルになるよう計画している、とも語っていました。つまり、らせんのリングに添って稽古が積み重ねられ、ある一点を基準にすると、ぐるっと回ってその基準点の上方にある同じ位置にたどり着く。これの繰り返しであると。当然のことですが、ただの反復稽古ではスパイラルになりません。

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