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骨法の堀辺が来た(続)24

(承前長野君の手紙)
堀辺氏によれば、万葉集の「恋う」と「手乞」が武術的に関係するという証拠は「堀辺家に代々伝わる・・・」ということなのですが、『近代空手』の中では「手乞」の話しを裏付ける証拠が万葉集にあるとしているのは、「鶏が先か卵が先か」の論法に等しいものです。どちらがどちらの証拠となり得るか、或いはどちらもウソ話しであるか、ということで、循環する原因と結果の端緒を固定しようとする無意味なものです。堀辺氏がどちらも正しいというなら、その両者を結びつける新たな証拠が必要となることは自明であります。

ところで『近代空手』誌上では、上記とは違う方向?に話が流れています。
同誌創刊号で、堀辺氏は初見良昭(例の戸隠流忍者)が保存している「骨法宗家」の由来は“怪しい”、と考証して見せました。その上、更に「武術の真の正当性は史学の観点では決まらない」など支離滅裂な主張をしています。これでは、同氏の「民族拳法・柔術史概観」というサブタイトルはどこへ行ってしまったのか?堀辺氏の迷論究談振りに、私(長野)はただただ恐れ入るばかりです。

堀辺氏の「武術の真の正当性は史学の観点では決まらない」とする主張が、突然マスコミに出現し「骨法司家」を振り回すための独特の説明であるというなら、“堀辺骨法”が本物であるかどうかも「史学の観点では」決めかねることになります。もう少し言うと、この論法では“堀辺骨法”をまともに史学的に考える者は大馬鹿者であると言っているに等しいと思われます。同氏が『近代空手』誌上で展開してきた「柔術史」とは果たして、何だったのでしょうか?(続)

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