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大東流の口伝10

この稽古は単独ではできません。初心のうちは形を真似ても自立してしまうからです。また、初心のうちは、自分自身も相手も崩れているかどうか、すら気付けません。みんな自分自身は安定していると信じていて、崩れて(不安定になって)いるとは、思いたくもないからです。

そこで、「百聞は一見(触)にしかず」現実を見せて(体験して)分かってもらうしかありません。具体的には、仕手受けに組んで(手首取りなど)もらい、仕手が卍脚の形を作ります。そこで第三者が仕手受けを同時に軽く引っ張ります。卍脚が出来ていれば二人とも倒れる、出来ていなければ、二人ともビクともしません。つまり、仕手受けが一体化し崩れているということは、両者ともに崩れているということなのです。

そこから分かることは、この状態になれば、早い者勝ち・上手い者勝ちで、受手の逆襲が可能ということです。稽古ですから受手は逆襲してはいけませんが・・・、言い方を変えれば返技を食う恐れがあるわけです。したがって秘すべき術理なのです。

ところで、柔術は相手との関係性(一体化)は基本問題にしません。したがって理論的には返技はありえない、ということになります。実際、大東流柔術には返技という考え方はありません。仕手の技を断ち切って技を掛け返してくるという技法はありますが、これは合気柔術でいうところの返技ではありません。

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