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合気と柔術3

ところで、大東流は会津藩に史料がないことから武田家代々の技であると主張している人がいる。その中には新羅三郎から代々伝わったとする全く根拠のない話を信じている者もいる。また、武田惣角自身が創始したという者もいる。しかしながら、惣角が残した大東流の技法群をみれば、そのほんの一部しか知らない人は別として、一人で作れるような体系や技でないことはすぐにわかる。皆伝の口伝であった小野派一刀流系と江戸柳生系の2系統があるという事実だけでも、武田家代々、新羅三郎から代々などあり得ないことは明確である。
さて、会津藩には江戸柳生の伝承はない。惣角自身も直心影流であって、新陰流兵法は知らないし習える資格もなかった。では、なぜ徳川将軍家のお留め武芸が惣角に伝わったのか?それは江戸で教育を受けた西郷頼母が伝えたからである。江戸柳生系の技法であった証拠が進履橋なのである。新陰流の剣術の伝承はないのに、その伝書を伝え、しかも惣角はこれを宝物として生涯身から離すことはなかった。体術としての江戸柳生が伝承されたということだ。
大東流には、もともと名前がなく、公武合体用の全国統一武術として構築されたものだ。同様の趣旨だった下級武士用の撃剣は講武所で既に普及活動に入っていた。大東流三大技法は世襲体勢を前提とした上級武士・中級武士・下級武士の三区分に応じた技法体系を整え、複雑な形態と数多い技法をまとめている。特に柔術は日本武術の昇華したものとして良いだろう。大東流は古流武術であるが、その常識(初伝・中伝・奥伝・秘伝)を破る構成(特に柔術)であって、幕末期に特別な目的をもって大成されたものであることがわかる。

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