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骨法の堀辺が来た(続)2

(承前)では、私が問題とする『空手と武術』7月号42~43頁を引用する。
 
(引用 始まり)
江戸時代に盛行した「柔術」の諸流派が申し合わせたように掴まれた手を抜く、いわゆる「手解(てほどき)」を柔術の第一教程として重要視してきたことは、格闘の常識から見て不可解な謎である。後に詳述する武田惣角の創始なる合気柔術においても両手取・片手取などの技が基本となっている。では何故こうした手を掴まれた場合の技から柔術の鍛錬は開始されるのか、これについて次のような見解が出されている。

合気道の基本練習は、両手持ち、片手持ち、襟捕り、袖捕り、後捕り等から始まっている。他の分野の格闘技の立場に立つ者には、この手法がどうも納得ができないという言葉をよく耳にする。相手を攻撃するのに、空手やキックボクシング等では相手の手を掴むことなど考えられないのが常識である。この疑問点に対して、新興の合気武道の指導者たちも決して明解な回答は出していない。
合気武道の基本はなぜ両手取りから始まっているのであろうか?これは体系図をみれば言わずとも知れるように、合気武道の歴史の変遷が秘められているからである。
合気武道の元の名は“やわら”であり剣法(近代竹刀剣道とはちがう)の裏芸とも称されるべきもので、昔の武士が帯刀を常識とするようになってからの技法の各種を統合化したものが、この技の原理となっている。例えば、図(略)のように片手持ち・両手持ちそのいずれも古伝の“腰の廻り”から発達してきた抜刀立合の技法が基礎とされている。この基本原理を知らないと、合気武道に対する技法理解が本末転倒のものとなってしまう。(鶴山晃瑞著『図解コーチ合気道』99~100頁)(引用 続)

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