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秘法・合気術の歴史を語る(上)

「秘伝・合気道 堀川幸道口述 鶴山晃瑞編」のファイルに、北見小天狗「秘法・合気術の歴史を語る」と題する原稿の一部がありましたので、紹介します。この原稿は堀川幸道の父泰宗と武田惣角の出会いに関するエピソードがテーマとなっています。なお、電電合気杖道会編とありますが、その実は鶴山先生編です。

北見小天狗「秘法・合気術の歴史を語る」
大東流合気柔術免許皆伝 堀川幸道先生口述 (電電合気杖道会編)

昭和42(1967)年6月18日付け読売新聞北見版サンデートップ欄に大きく、「元気いっぱい“合気道の父”」の見出しで次の紹介文がある。「1メートル50そこそこの男に1メートル80もある大男が組みついていった。男の手が堀川さんの胸ぐらを掴もうとしたとたん、男の体は2メートルも向こうに吹き飛ばされていた。今度は黒帯を締めた5人の男が堀川さんの胴や手足を顔を真っ赤にしながら掴んだ。『ヤッー』とするどい気合とともに5人の男は畳の上にねじ伏せられ身動きが出来なくなっていた。自分の目を疑いたくなるような光景だった。」この記事の主人公が大東流合気武道免許皆伝の堀川幸道先生(当時73歳)である。
堀川さんは明治27(1894)年北見枝幸(えさし)町で生まれた。21歳のとき母校の小学校の教員をやるかたわら父親の堀川泰宗から、合気道の手ほどきを受けた。
堀川泰宗の名は「殖民公報(北海道庁殖民(=植民)部発行の公報)第1号」に次のように載っている。「明治31(1898)年中北見國枝幸に於ける大発見ありてより砂金熱は俄然沸騰し来る場所はパンケナイ、その最初の発見者は枝幸で湯屋兼料理店を営業の堀川泰宗(当時36歳)で、クマザサをかき分けながらの探求の末、6月にようやく砂金を発見した。(枝幸砂金調査)」(続)

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