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西郷頼母と大東流3

明治36年には、仙台陸軍第二師団及び仙台警察署剣道教師であった北辰一刀流の下江秀太郎に教伝している。

補足説明:先生が写した「英名録」には、注として、次のような記載があります。
元千葉道場の塾頭を務め、千葉の鬼秀といわれた名人。下江秀太郎(しもえ ひでたろう)は、東京にて道場を持っていたころ、惣角と立合い完敗した。更に仙台警察署にて再び立合って敗れ、ついに惣角の門人となった人です。下江、次の原田の両名は教授代理として、仙台各地を惣角に随行する。
仙台警察署柔道教師 原田信蔵
○ルーズベルト大統領の要請あり、惣角の教授代理として渡米す。
○この頃、米国より初のレスリングが来日、仙台警察署において、レスラー2名が惣角と試合し、惣角(当時44歳)に投げられ完敗、合気柔術の指導を受けた。
 
そして、下江・原田の推薦により、陸軍第二師団長以下将校に教伝したのである。この中には、後に将軍になる者が多数いた。軍幹部への顔つなぎもできたのである。このような東北と北海道での事績は「英名録」に記載されたとおりであり、惣角の存在価値が次第に大きくなっていることを現わしている。これも頼母の惣角への配慮と指導のたまものであろう。

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