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生活と合気道1

昭和42(1967)年10月30日発行の電電合気杖道会会報に塩田剛三先生の寄稿が掲載されていましたので、引用紹介します。ちょうどこの頃は、鶴山先生が電電公社合気杖道会を植芝合気道から養神館に切替えたころで、「今太閤である盛平が死ねば植芝合気は分裂する、秀吉が死んでその偉業を継いだのは徳川家康であり、今そのように見える人は塩田剛三だ、というものであった。死んでから分かれるより盛平が生きている時の方がよいと主張し、300人の部員を引き連れ養神館に移った。」(「合気ニュースと合気道界のこと(中)」をご参照ください。)と先生のメモにあります。
 
生活と合気道
養神館館長 塩田剛三
私が植芝道場の門を叩いたのが昭和7年5月でした。それより今日まで、約35年の間に得たものは、合気道即生活と云う尊い体験による学問でした。
皆様が日々練習されている技術は、その一つ一つが私生活に結びつきます。先ず忍耐と云う事、これが自分の身につきます。この得難いものが自分のものになるのです。それは如何なる学問を学んでも身につける事ができないものです。然し合気道は技術を通じて教えてくれます。
技を掛けられ苦痛に耐えること、また暑いとき、寒いときも耐えること、それが忍耐する糧になると思います。仕手、受、意気が統合せぬ場合は、技は全く死んでしまいます。常に気を合わす練習を積み上げること、これが自分の仕事に対する気を合わせて行くことによって、満足ができ、真に自分の仕事に対して情熱が沸いてくるのではないでしょうか。


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