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武田時宗・宗家独占インタビューについて12

武田惣角見聞記5
(承前)大東流中興の祖ともいわれる武田惣角源正義は、昭和18年4月25日青森市浪打町で、当時としては高齢である84歳で没した。
遡ること2年余、昭和16年2月惣角が半身不随にて倒れたとの噂が全国に拡がると大東流合気柔術の門下から「大東流」を母体として多くの派が生まれ、それが現代に栄えている。惣角晩年の高弟を紹介すると、次のとおり
吉田幸太郎 大正4年入門 弟子に大山倍達(極真流空手創始者)
植芝盛平 上湧別村白滝
 大正4年入門 吉田幸太郎の紹介による
 大正6年 旭川・小樽方面に助教として巡回指導
 大正11年 京都府綾部で半年間指導を受ける、
      大東流合気柔術教授代理を許される
 昭和6年 牛込若松町にて御信用之手84か条の教伝を受ける
 昭和17年 武徳会に合気道として登録
佐川幸義 大正13年札幌市で入門
堀川幸道 昭和5年紋別町で入門
久琢磨 免許皆伝 
    昭和14年英名録に武田大先生及び時宗殿より免許を受くとの署名
吉村義昭 昭和11年入門 大阪朝日新聞社
奥山義治(龍峰)昭和14年旭川市で入門
        昭和16年紳士道(後に八光流)創始
        弟子に、大庭一翁(武田流合気の術)・佐藤金兵衛(大和
        道宗家)・中野道臣(日本少林寺拳法)
山本留吉(角義)昭和17年滝野川で入門
以上「大東流」を母体とした諸派の中でも、技に対する研究が盛んである・なしにかかわらず、宣伝活動の上手が、それぞれの人気の支えや組織の実態を現わしているようである。(続)

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