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大東流基礎理論-合気之術(下)

「武王が太公望に質問した。将は何を威信とし、何を明確にし、何を禁止して命令すればよいのか。すると太公望はこう答えた。将は大物一人を誅する(殺す)ことで全軍が奮い立つならこれを行い、小者一人をほめてみんなが喜ぶならこれを行う、罰を明らかにして禁止することで、命令は実行される。上の者には厳しく、下の者には報償をもって対応すべきだ。」(将威第二十二より)とある。
六韜三略は奇道と正道の区別を具体的に説いた兵法書なのである。
大東流の合気之術は、孫子の兵法を基礎理論とし、六韜三略を具現化したものである。仏教に経典があり、これを具現化したものが仏像であるのと同じように、孫子の兵法と六韜三略が経典で合気之術の技法が仏像なのである。

小野派系柔術にも柔術(第1・2か条)と合気柔術(第3~5か条)があるが合気之術はない、小野派系は戦術技法だからである。「にも」というのは、江戸柳生系合気柔術も柳生流柔術があるからで、
       こちらの系統は柔術・合気柔術・合気之術という構成になる。
では、小野派系の構成はというと、柔術・合気柔術・秘伝となる、最後の秘伝は正確には合気柔術秘伝で長者の術と呼ばれる技法のことである。この構成は大東流の全容を知らない者からすると、信じがたい内容であろう。
私(鶴山先生)自信もそうだった、気持ちの整理に数年かかったほどだ。
大東流は身分により習える技法を区分するとともに、それぞれに独立した体系を整備し、それぞれの体系の中だけでやっていけるように考えられているのである。だから、現在でもその一部の技法だけをもって大東流○○など称してやっていけているのである。ここにも戦略的配慮がなされている、ということだ。

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