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江戸柳生雑感(上)

武力の後ろ盾がない交渉や説得は功を奏さず、そして平和もないと歴史は証明しています。武術の心得があれば、圧倒的な智力があれば、経済力があれば、ヒトは自信と心の安寧を得られます。これらの後ろ盾をどう使うかが問題ですが…、
本稿のテーマ新陰流兵法は上泉伊勢守が創始したものですが、伊勢守は介者剣術を理論的に整理し、千変万化の構えや斬合を簡潔に分類しその対処方法を示して革新した剣聖ですが、実はこれだけにはとどまりません。本稿にあるように、伊勢守は、剣術を単なる殺傷の技術ではなく、技の修練によって仏智を磨き、無明を断ち、安心を確立する人間修行の方法ととらえ、その心持ちを文章化して残した武術史上画期的な偉人だったのです。
では、江戸柳生雑感と題する鶴山先生の論評を紹介します。

新陰流兵法が将軍御指南役となったことは、徳川初期では新陰流が最強の「殺人刀(せつにんとう)」であるというアナクロニズム(時代錯誤)が当然あった、とみるのが現代剣道の感覚から見れば正しいことになるだろう。それと同時に「活人剣(かつにんけん)」で表現される戦争否定の平定術であるという身方もこれまた正しいのである。この殺人刀と活人剣という相矛盾する相関関係を研究することが、徳川将軍の護身兵法だったのである。ここに、徳川家康が天下平定策として旗印とした「元和偃武(げんなえんぶ=元和の治世以降は武器を伏せて用いない)」から約260年徳川政権安定の秘密があったのである。

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