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骨法の堀辺が来た(続)17

(承前T君のレポート)
知人によれば、既述の吉丸氏による「換骨拳は何から何まで我々がでっち上げたもの」とするコメントは、同氏の換骨拳失敗談として語られたものだったそうです。

新しい流派を作り上げ、日本人の権威好き志向を満足させるため『換骨拳入門』に・・・
「換骨拳は、平安時代の知識人であり武将である新羅三郎源義光公が、第56代清和天皇より歴代源家に伝えられた天皇家の古代拳法“錯骨法”及び古代相撲に義光公の創案になる神秘絶妙とも言うべき“借力”並びに“換骨”の術理を加えて体系化し創始した我が国唯一最古の“柔理拳法”です。」(6頁)と記し、その伝承について、義光公の長子義業(よしなり)公が換骨拳のすべてを相伝し、それが常盤佐竹氏から堀辺氏に引き継がれ、その末裔一夢氏が新羅三郎第40世であるとしています。一方、義光公の二子義清公は換骨拳の内、借力(合気という力抜きの術理)のみ伝えられ、これが甲斐武田氏を経て西郷頼母から武田惣角に伝承された、としています。
これをもって「今回の換骨拳の公開によって、大東流合気柔術はその口承のとおり、新羅三郎源義光公をその流祖とすることが明らかになったといえます。」(13頁)と説明しています。
私(T君)から見れば、換骨拳の公開が、なぜ大東流の伝承証明になるのか?理解に苦しむところです。(続)

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