見出し画像

槍と合気道29

これまでの大東流関係者は「合気道の源流は大東流」であると主張していながら、主張者自身の大東流はどういう技法なのか、大東流体系の中のどこに位置づけされるものなのか等々説明していない。柔術・合気柔術・合気之術という言葉は知っていたとしてもその体系は知らないハズだ。これまで公になっている大東流の実像、歴史背景、技法の理論構成等々少しも研究せず、大東流に関するほんの少しの知識だけで、例えば、植芝盛平が武田惣角の門人だったことのみをとらえて、大東流が合気道の源流であると主張しているにすぎない。

一部大東流関係者は「合気道は植芝盛平が創始者であるとするのは、全くのデタラメである」と声を大にして主張するが、なぜそう言えるのか、植芝合気道のどこがデタラメなのか、明確にしている者はこれまでのところ出てきていない。一方、主張者自らの大東流に対しては、武田惣角が残した実技=大東流三大技法の実体とはかけ離れた虚構とウソで固め尽くした伝承系路を堂々と主張しているのだから筆者(鶴山先生)としては、あきれてものも言えない。

「日本伝統古武道の歴史は実像伝承を本質とし、そこには伝統の保持があり、歴史の発展を示すものがある」のである。しかるに大東流関係者が主張する伝承系路は、流祖を新羅三郎義光とし、甲斐武田家に代々伝えしものが、会津武田家に伝承されたという。しかし、その子孫である武田惣角が残した大東流三大技法は、戦国合戦武法とは明らかに異なって(他流古武術と比較しても明らか)いる。筆者の実像体験からしても江戸中期以前の技法では絶対に出来ない技法内容となっている。実際、会津藩における教育システムとして幕末期に編さんされたものだからである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?