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江戸柳生雑感(下)

では、流祖上泉伊勢守→柳生宗厳→柳生宗矩と継承・発展された新陰流兵法の理念と心法、剣禅一致の思想とは何だったのか。伊勢守はその伝書において、兵法(剣術)の修行目的は仏教でいうところの煩悩を断つことであり、これによって生死の極限状況の中で心身の統合が図られ剣技を最高度に発揮する境地に至れる、この境地から仏教でいえば慈悲の徳行が生ずるので、人格完成の道と同じなのである、つまり剣技の修練によって人を活かす道につながるのである、と述べている。このことを有名な「懸待表裏は一隅を守らず」と表現し、その体得の方法を「牡丹花下の睡猫児(すいみょうじ)」という禅の章句を引いて公案として提示している。(補足:この一文の大意は、敵の動きにしたがって、円転、自由自在な動きをすることは、禅の悟道に通ずるのであって、心を対象のいかなる動きにも止めず、捕らわれない状態にすれば、相手を動かせておいても、虚ではない実の動きを的確に自在に瞬時に制することが出来る(静中動の心)、というものです。)
この心法を受け継いだ宗矩は兵法家伝書において、活人剣とは戦国乱世の時代に一人の悪を制する(殺人刀)ことによって、万人を救い世を治める剣である、と治国の剣の理念を示したのである。

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