見出し画像

合気道と合気柔術3

植芝合気道は元々財団法人皇武会の合気柔術として普及活動が行われていた。この皇武会合気柔術が江戸柳生系合気柔術の初伝技法の一部であった。皇武会は海軍の在郷軍人会を中心に資金が集められ発足したもので、いわゆる町道場ではなく軍の協力機関とみなされる組織であった。竹下勇海軍大将が会長を務め戦時中まで活動していたが、大日本武徳会傘下に入り、戦火の拡大にともない活動は縮小した。戦後、財団法人皇武会は終焉を迎えその財産も凍結された。これを返還してもらうため、財団法人合気会の認可申請を行ったのである。丁度、三菱や中島飛行機が平和産業に転向するため財産の解除を願い出たのと同時期であった。こうした背景もあり、認可申請上申書の中で「この技は古流武術の奥儀で、あらゆるスポーツ等に応用でき、その効果は厚生局の医療対策の一環として医療費節約になる健康体操である。」と主張している。簡化太極拳と全く同じ目的で創設された。中国の武術家が簡化太極拳を武術として認めないのと同じく、植芝合気道も武道として認められないのである。
古武道である大東流と植芝合気道の違いは、技を流すか、極めがあるかであるが、最大の論点は「合気だけでは武術でもなければ武道でもない」というところにある。陳家太極拳と簡化太極拳の違いと同じである。合気道は武術の様式を踏んでいるが実態は違うのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?