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図表基準・花輪さん資料12

このように植芝の門人の多くが、彼の世界観を無条件には理解しておらず、または同調しなかったので、合気道の起源について、後になって混乱したイメージが確かに出てきた。大本教が盛平が抱く宗教観であった。
盛平が持つ技法システムと大本教の信仰を完全に結びつけた合気道を主張する代表者が一人だけ知られている。彼は盛平の真の弟子であり、唯一の後継者であることを主張し、そればかりか合気道本来の伝道を遂行するよう盛平から命じられた、ということを主張している。その人は砂泊誠秀である。彼は大本教の面から見た合気道の精神的役割をまず第一に強調している。

(財)合気会の社会的・経済的な承継者は盛平の息子である吉祥丸である。その中心は東京の本部道場である。(財)合気会においてすら、正しい合気道の技術について様々な見方があるのに、日本だけでも多種多様な合気道団体が自ら植芝盛平の後継者か、あるいは正しい技術の継承者であるという主張を掲げている。例えば、植芝本部合気道、養神館合気道、気の会、養正館合気道、万生館合気道、大日本光輪洞合気道・・・合気道を十分に理解するためには、合気道界におけるなんとしても複雑な、更に部外者にとってはよく眺望出来得ない状況を認識することが極めて大事であるように思われる。

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