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ショールームとしての朝日カルチャーセンター

鶴山先生は昭和49年から昭和63年に亡くなられるまで、朝日カルチャーセンターなどの講師をしていました。カルチャーセンターは一般的に3か月ごとに新会委員が入って来ますから、それに対応した講座となるわけです。もちろん継続受講生もいますから、その方たちへの配慮も必要です。

先生が講師を始められた当初は、カルチャーセンターでの講座は新武道の公開と啓発を目的とした商品のショールーム的位置づけだったのです。新武道とは、電電公社東京合気杖道部や日本武術研究所(日新館=先生の書庫兼練習場)で長らく研究・実践されてきた大東流技法などのことです。これを合気道と冠して、指導法も合気会などと一線を画す方法で講義(実技・座学)していたのです。また、受講生は同行趣味の集まりであって、門弟(弟子)ではない、とも語っていました。受講生の中から見込みのある者を選抜して指導者を育成する計画だったのです。実際、綜合武術指導者養成の第一期生が選抜され、鶴山先生の特別研修会が開始されましたが、直後に先生が急逝されたので、ここからは指導者が育つには到らなかったのです。ここでは、日本伝合気柔術・新陰流兵法などを体系的に指導する予定でした。したがって、カルチャーセンターからは自称を除き師範クラスの人は育っていないのです。

実際、カルチャーセンターでの指導技法と電電公社東京合気杖道部における指導技法はかなり違っていました。当時は技法を盗もうとする「スパイ」もいたため、また、受講生のレベルの問題もありカルチャーセンターでの公開には限界があったからです。一方、部活動の方は熟達者も多いことから高度な技法やカルチャー非公開の技法などが展開されていました。なお、カルチャーの受講生の書籍も発行されているころをみてもわかるとおりカルチャーセンターの技法が低レベルであったということではありません。先生の創意工夫とテーマに沿った展開がなされ、逆にカルチャーのみで公開されている技法もたくさんあるからです。

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