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合気之術の思想背景4

さて、呉子は卜筮(ぼくぜい)の占いによる吉凶を待って敵を攻撃するという卦の大事を重視していた。
徳川家康の参謀も務めたとされる天海大僧正が修行した占術に「奇問遁甲(きもんとんこう)」がある。奇問遁甲は古代中国の黄帝が天から授かったと伝えられている。有名な「三国志」の蜀の軍師諸葛孔明が戦に活用し常勝を得たといわれている。中国最大の秘術の学問とも、帝王の学問とも呼ばれた。奇問遁甲はある方角に相手を招き寄せるか、又は自分がある方角に動いていけば相手を自在に操れるとする学問なので、軍学として重用されたのである。
日本へは日本書紀によると推古天皇十年十日に百済を経て伝来したが、数ある流派のうち一種類だけが伝わったといわれている。
江戸時代は徳川家を倒すほどの威力があるものとされ、この書を持つだけで即刻打ち首という厳しいものだった。幕府自体は林大学頭に研究させ継承させた。幕末の時、徳川幕府の財宝を赤城山に埋めたといわれるが、これは林流奇問遁甲の蔵伏法を用いたとされている。
奇問遁甲の眞伝は「正三元流」といって天人地の3つの方位盤がある。中国における考え方は、大空の天の天元、大地の地の地元、その間に生活する人間の人元をもって三元という。すなわち、天人地の考え方は推古天皇の時代からあり、これを大東流の構成に持ち込んだのである。

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