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植芝吉祥丸氏の出版戦略

鶴山先生によると「植芝吉祥丸氏は本を書かない、資料を提供してゴーストライターが書いていた。」そうです。また、先生は出版物に対する吉祥丸氏の行動パターンを次のように分析しています。
「誰かが合気道の本を出版するとそれに対抗して、自らの本を出す。全国の書店に吉祥丸氏の合気道本が並ぶよう配慮していた。」吉祥丸氏は財団法人合気会を守り発展させるべく努力されていたのです。
では、その行動パターンを鶴山先生の資料に基づき具体的に見ていきましょう。ちょうど、合気道黎明期の合気道本の歴史といった観点からも参考になるかも知れません。

昭和30年に「入門合気道 望月稔著」が私家版ながら合気道本として日本で最初に発行され、植芝門下の有段者の間に広く普及しました。
これに対抗して、植芝本部道場長の肩書きで、昭和31年に「合気道 植芝吉祥丸著 和光堂書店」(吉祥丸氏の最初の本)を出しました。この本の中で「合気道の誕生について、“術”から“道”へ発展した」と述べるとともに、植芝合気道は大東流とは関係ないと主張しています。

入門合気道

昭和33年には、「合気道入門 富木謙治著 ベースボール・マガジン社」がポケット版として出版されました。この本は定価180円と廉価だったので相当に出回ったそうです。
昭和34年に「写真解説合気道 藤平光一著 東都書房」が出版されました。藤平氏は合気道総本部師範部長九段の肩書でした。この本が合気道ブームを引き起こしたとされています。
藤平氏人気への対抗企画として練った結果、昭和37年に「合気道技法 植芝吉祥丸著 光和堂書店」、昭和38年には「合気道教本 植芝吉祥丸著 鳳山社 」を出版しました。「合気道技法」は、植芝盛平の「武道」の焼き直し版でしたが、藤平氏の本が技術的には体操的なものだったことから、当時はそれなりの評価を受けていました。

昭和38年には、「合気道の楽しみ方 塩田剛三著 西東社」レジャーシリーズNo.5 230円ポケット版で、技術解説よりも合気道と生活・合気道と健康・合気道と女性・趣味としての合気道といった内容が受け、吉祥丸氏の本よりわかりやすかったこともありよく売れたそうです。養神館を立ち上げた後の出版で、戦前派である塩田氏は「合気道は武道である。」とする立場であり、合気道の起源、戦後の合気道の項が吉祥丸氏本の説明と全く異なっています。

昭和45年に「合気道入門 植芝吉祥丸著 東京書店」、「合気道教範 植芝吉祥丸著 東京書店」、
昭和53年には「合気道秘要 植芝吉祥丸著 東京書店」が出版されています。これらは、写真を絵にしたり、運足図と流気図を入れたりして目先を変えていますが、基本同じ内容のものです。「合気道秘要」では、植芝合気道は大東流とは関係ないとの主張は消えていて、植芝総本部の組織が大きいことを強調しています。
この間、昭和46年に「図解コーチ合気道 鶴山晃瑞編 成美堂出版」が、250円ポケット版で発行され、合気道界に衝撃が走ったのでした。

その後も、望月稔氏が「大合気道」を出版しようとしたことを聞きつけ、これを結果ボツにさせたりもしたそうです。吉祥丸氏にはここに揚げたものの他多数の著作があり、鶴山先生によれば、吉祥丸氏はそれぞれの出版物でその時々の情勢を読み、たくみにその主張を変化させ、財団法人合気会のために尽力した、としています。吉祥丸氏とは視点や立場が違う人々から見ても、吉祥丸氏の盛平を顕彰し合気会を擁護する、という明確な意志はしっかり伝わるとともに効果的であったと思われます。


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