見出し画像

鶴山先生の軌道修正

鶴山先生は大東流研究に人生を掛けた方でした。大東流の情報がほとんどなかった昭和40年代、全国に武田惣角の足跡を求め、多くの師範方に教えを受けるため休日もなく、また、賞与も全額つぎ込むという努力と情熱で大東流を極めたのです。

こうした研究の結果、先生なりの結論を得て昭和46年5月に「図解コーチ 合気道」を出版しました。この本の真価は、合気道のルーツを解き明かすとともに、大東流を世に知らしめたところにあります。なお、この本は版を重ねた名著で先生の武道研究者としての名声を確立したものでした。
ところが、昭和52年11月3日に久琢磨から免許皆伝を受けた際の口伝で大東流の全容を知ることとなり、先生自身の研究結果がかなり違っていたことが判明したのです。例えば、大東流に3つの体系(柔術・合気柔術・合気之術)があることなどです、先生にとっても、うかつに公表できるような内容ではありませんでした。ある意味ショックだったと思います。

そこで皆伝後、どのように軌道修正するかが課題でした。
作戦その1は、「図解コーチ 合気道」の改訂です、口伝の内容に近づけるよう修正を重ねました。
作戦その2は、先生は久琢磨との約束を解いて、昭和58年に新たに「図解コーチ 護身杖道」を出版し大東流の3つの体系のことを公表したことです。これは、多くの大東流関係者からの反発を買いました。それぞれの体系の指導者としては決して認めるわけにはいかない事項であったからです。

さて、大東流も武田惣角の直弟子、孫弟子、そのまた先の弟子と時代は進み、各団体はそれぞれ独自の展開をしており、それぞれの歴史もそれなりに積み重なっていて、別のものとなりつつあります。また、
各指導者もその方針や、やりたいことが異なることから様々な広がりを見せています。物事の変化とはそういったものであり、否定するべきものでもありません。
ただ、大東流に関して、それぞれ立場やそれぞれの知識から結果として、皆伝者のみが知る内容と異なる見解が通説化されることは、鶴山先生の道統を継承したいと思っている者にとって残念でなりません。

先生はこれから本格的に普及活動に入ろうとした矢先、昭和62年12月21日に鬼籍に入られましたが、その技法は我々弟子達に連綿と受け継がれています。また、先生は膨大な覚書を残していました、その一部を公表することで先生への顕彰となれば、と思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?