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武田惣角と大阪との関わりについて4

(承前 時宗氏の寄稿)
昭和5年には、
北海道刑務所柔道教師菅野伊之吉(後年大東館副会長)、剣道教師上山幸七、女満別村長中山勝雄、網走町長長山内鉄蔵、網走女子小学校長合田綾一、
北海道銀行網走支社長村岡万次郎、斜里村長渡辺亨、斜里警察署、上斜里医師山田一等官庁職員、学校教員、地方勇士等に大東流を指導したが、

7月惣角(72歳)は門人堀川泰宗を随えて北見国小清水村において
村長酒井佐一、消防組頭横道孝吉、駅長大西正雄、産業組合長加藤忠三郎、医師間庭延俊、北見鉄道会社取締役薄井直江以下十余名の名士に大東流を指導していた時、竹下勇の『武田惣角武勇伝』の実在の武道家武田惣角に会って大東流の技法、英名録、大東流資料等を取材しようと、東京朝日新聞社記者(後参与)尾坂與市が惣角各地巡教の跡を追って小清水の宿屋に宿泊中の武田惣角を尋ねて来た。(続)

補足説明:ここも冒頭部分、正確ではありません。
英名録によれば、昭和2年網走刑務所長 秋元源治郎、柔道教師 菅野伊之吉、剣道教師 上山幸七、他看守とあります。
菅野伊之吉(当時27歳)は天神真楊流を極め、刑務所関係全国柔道大会における優勝者でした。このときの逸話が残っています。

「私と上山さんの両者が、仰向けに寝ている武田先生の両腕を左右からしっかり押さえつけたところ、先生の合気術にて両者とも一瞬で投げとばされた。(菅野先生談)」


朝日新聞社記者尾坂與市が惣角を尋ねて来たのは、昭和5(1930)年7月29日のことでした。


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