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日本経済新聞「春秋」に取り上げられた合気道9

組形を、設定を、状況そして技を変えることで重心関係・力のかかり具合・動き易さ・捌き易さ等変わりますし、目先も変わり飽きずに稽古できるのです。慣れてくると「何だ、みんな同じじゃない」と気づきます、これが大事なのです。それなら、一つの形で状況を変化させればよいのでは、と思われる方もいるでしょう。

しかし、大東流(江戸柳生系合気柔術=合気道の源流)の編成者はそれでは不十分と考えたのでした。実際、合気柔術には、柔術テクニックを学ぶための形・主に合気の感覚を修得するための形などたくさんあります。別に、数が多いことをもって「すごい」と言っているわけではありません。このような方法が、最も効果的と考えた編成者の意図を理解すべきなのです。コピーは劣化します、多くの古流がこの道をたどりました。江戸時代でも同じことが起こっていたでしょう、そのことを知っていた編成者は対策を打った、ということだと思います。なお、同じ大東流でも柔術は少ない形を繰返し修練する方法をとっています。柔術履修対象者には、その方法がよいとの判断だったのでしょう。

さて、鶴山先生は「極意は自得するものである」と語っていました。「形稽古等を通じて指導者が教えられるのは、技法(実技・動作)・術理(合理的技術理論)・口伝術理までであって、その先の極意は修行者が修練を積み重ね自得していくことが肝要である」指導者側も極意に近づけるよう多くの技とそれに内包される術理を教えます、修行者側はそこで何に気づくか?含蓄のある教えです。

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