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沢庵和尚26

「諸仏不動智」のこと
不動智とは、「動かぬ」「智恵」という字義だが、それは木石のように動かぬという意味ではなく、前後左右、四方八方に自由に動きながら少しも止まるところのない心のことをいうのである。すなわち、不動とは物を一目見てそこに心を止めないことで、この止まらぬ心が不動智であり不動心である。
この不動心を体現した姿が「不動明王」である。右手に剣、左手に縄をとって、歯を喰いだし、目を怒らせ仏法を妨げる悪魔を降伏(こうぶく=制止)しようとする体に不動智があると。
仏法の守護者たるには、身も心も動転してはいけない。動転しないためには一つ一つの物に心を止めないことが大事。心が止まると、その心は動いているようでも、止まる物に動かされているのであって、本当はうごいていないのだ。
剣術で例えれば、10人の敵が一太刀ずつ打ちかかって来た場合、一太刀を受け流した後は心を止めず、受け流した太刀への思いは即座に捨て、次の太刀に応じるようにすれば10人の敵に対応出来る。10人の敵に十回は心が働くけれど、一人にも心を止めなければ、次々と十分な働きをもって戦うことができるが、一人の打ち合いに心が止まってしまうと、その太刀は受け流すことができても、二人目の相手に対し自分の働きがおろそかになる。(続)

補足説明:江戸柳生系合気柔術では、脱出技術として多敵之位を重視しています。その基礎として入身・転身法を学び、規定組手(奥伝・秘伝)として前後敵・左右敵・四方囲形を学び、平行して多人数相手の乱取を稽古します。沢庵和尚が説く境地に至るには、基礎捌きこそが重要なのです。

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