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沢庵和尚16

この時の沢庵の京都所司代板倉周防守(後方の崇伝)に対する上書は概ね次のとおりであった。
「参禅修行30年、1,700則の公案を透過せし僧にあらざれば、住山を許されずというのは理不尽なり。30年の修行というも、実はただその年数を数えるべきにあらず。今ここに15、6歳にして修行を始むるものありとす。まず師家について30年、また出世する間の5年を経て、更に弟子を育てるに30年を要すとすれば限りある人の生命の中に仏法相続なり難し。古より30年修行というも、実は言葉どおり30年間に限りたるにあらず。古人の実例について申さんには、建仁寺開山栄西禅師は再度唐に渡って、前後わずか5年、東福寺開山聖一国師はこれも渡唐7年。愚中禅師も入唐修行6年。天龍寺の開山夢窓国師20歳にて禅に入り、印可を得たのは35歳。大灯国師は大慶国師に従うこと5年。かくの如く名匠は一句一隅を見て忽然と大悟を得たもの。畢竟、修行の年限には個々人により千差万別。いたづらに年月の長きをもって證悟(しょうご=悟り開く)の目安にはならず。
また、1,700則の公案を透過せよということも、ただ単に公案の数のみ数えて真実透過したりとはいえず。禅宗は必ずしも古則公案によるものではない。380則にして覇参(参禅終了)したは、大灯国師。されば杓子並に1,700則と言い立てるは、いたずらに数にとらわれるというもの。
これ元和の御法度の大欠陥といわねば相成らぬ。僧に戒をすすめ、修行を求めらるるはまことに当然。ただ、ここに年月の数を数え、古則の数のみ拘泥するは、ひが事というてよろし!」

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