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骨法の堀辺が来た(続)4

(承前)まずは、冒頭「江戸時代に盛行した“柔術”の諸流派が申し合わせたように掴まれた手を抜く、いわゆる“手解(てほどき)”を柔術の第一教程として重要視してきたことは、格闘の常識から見て不可解な謎である。後に詳述する武田惣角の創始なる合気柔術においても両手取・片手取などの技が基本となっている。」の部分である。

堀辺氏によると、
手解なる言葉は江戸時代に柔術諸流派が武術解説の用語として使っていた、
両手取・片手取などの技を基本とする大東流の技は、格闘の常識から見て不可解な謎である、
大東流は武田惣角が創始した、とのことである。
これを見るだけでも、同氏は日本の柔術諸流派について研究したことがなく、その歴史音痴ぶりを披露してことが伺い知れる。また、大東流に関する歴史観や技法に関しては全くの無知無学であることがわかる。

とりあえず、上記に関する私の見解は次のとおり
手解なる言葉が武術解説書で使用(公開)されるようになったのは、明治時代からである。
両手取・片手取は江戸柳生系合気柔術の基本であって、大東流の基本とされる技法は他にもある。また、両手取・片手取は入門技法であってその真の稽古目的は別にある。
武田惣角は大東流の継承者であって、創始者ではない。(続)

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