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東北鬼門の守り(上)

大東流の中核技法「四方投」に関する由来についての鶴山先生のメモです。四方八方に投げるから「四方投」というのではなく、本来の意味としてこのことを先生は強調していました。四方投の術理と直接関係はありませんが、大東流構成上のコンセプトの一つなのです。武道を考古学的に研究するという鶴山先生のアプローチがよく伝わるメモです。 

四方投立合の基本技は「柔術」はもちろん「合気柔術」でも、互いに右半身になり両手持ち(小太刀の間)又は片手持ち(太刀の間)となる。この基本原則は植芝合気道でも少しも変わっていない。では、なぜそうなるのか? ということを植芝合気道を覚える人は一人も自覚していないし、全くその理由を知っていないからおかしなものだ。
大東流の四方投は相手を東北鬼門に極めることである。家康が日光東照宮に収められた理由は江戸城の東北に当たるからである。

「あの山は、都の鬼門(北東)の方角にあるのではないか」と山城(長岡京)を遷都(平安京に)するにあたって桓武天皇とその側近がさわいだといわれる。鬼門には鬼門の手当をせねばならず、そのためには国費により寺院を作らねばならない。

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