沢庵和尚3
「それは・・・」と若い又右衛門は剣の修行をするのにそんなことを考えたことがなかったので、立ち所に自分と同年配の若い僧の質問に一言も返答ができず、息をのんだ。秀喜は一ひざ乗り出した。
「そもそも剣の道には三通りある。まず、
第一は“天治の剣”。一たび剣を抜けば諸法を正し、天下を治む、これすなわち天治の剣である。
第二に“諸公の剣”。勇士をもって鋒(きっさき)となし、清廉の士をもって刃(やいば)となし、賢明の士をもって脊(むね)となし、忠義の士をもって鍔となし、無双の豪傑をもって鞘となす。この剣を抜けば前に敵なく、後に敵なく、左右に敵なし、これ天に則って日月星の三光にしたがい、地に則って春夏秋冬の四時にしたがう。この剣一たび抜けば、雷電の如く将卒死を恐れず、君命にあらがわず。これすなわち諸公の剣じゃ。
第三に“凡夫の剣”。いたずらに戦いを好み、目を怒らし高声で罵り、ただ人を殺すことを無上と心得る、さながら狗犬の如くじゃ、天治諸公の剣を活人剣といい、凡夫の剣は殺人剣という。そこである、まことの剣こそは、おろそかに考えてはならぬものじゃ。」
「恐れ入りました。目を覚まさせられたような思いがします。まことに剣とはそのようなものでなければなりませぬ!お坊は何人でおわすや?拙者は柳生又右衛門宗矩と申す者でござる。」
「これは申し遅れた、拙者は但馬の者秀喜と申して、三界無住の乞食僧でござる。では、いずれまた!」というと、おもむろに袈裟文庫をかけ、笠をもって早々に立ち去った。その後ろ姿を又右衛門はしばらく見送っていた。