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槍と合気道3

最近発行された『広辞苑(新村出編・岩波第二版)』によると、合気道とは「武術の一。古流柔術の一派大東流合気柔術から出たもの。特色は関節を利用しての投げ技・押え技にある。護身術として知られる。合気」とある。
広辞苑に記載されている「合気道」の説明の原典は、下記のとおり『日本百科大事典(小学館発行)』で紹介されている合気道の説明文を要約していることが明らかである。

「合気道 古流柔術の一派である大東流合気柔術の流れをくむもので、その特色は関節を利用しての“投げ”と“押え”技にある。伝書によると、大東流合気柔術は新羅三郎義光を始祖とし、源家に伝わり、つづいて甲斐の武田家から会津の武田家に残され、7代をへて明治になり武田惣角に伝わった。その高弟植芝盛平によって、大正末期から合気術または合気武道として大東流から独立し、第二次世界大戦後、合気道と改称された。(以下略)」

この説明文の筆者は、昨年(1979年)12月25日に惜しくも死去された富木謙治氏である。富木氏は植芝盛平先生が東京に始めて進出した昭和2年ごろから関係している最古参の門人である。その富木氏は「合気道は大東流合気柔術から出たもの」と主張している。

これを真っ向から否定したのが、戦後に合気道の師範になった植芝吉祥丸(現二代目道主)氏と藤平光一(現気の統一会の会長)氏である。お二人ともその数ある合気道入門書の中で、植芝盛平翁が「大正14年頃に合気道を創始した、ちまたに言われている大東流とは関係がない」と主張している。大東流には対槍術があるが、戦後生まれの合気道には対武器の技はないが、同じ盛平門下の中で、合気道の定義について、大東流に関係がある、ないと意見が対立している。「合気道とは何か?」を解明するためにはどちらの主張が正しいのか究明する必要がある。

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