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骨法の堀辺が来た(続)3

(引用 承前)以上を要約すると、刀剣を帯びている時、その刀剣を抜かせないように敵が吾が片手なり、両手なりを掴んだときに、それを制御し刀剣を自由に使えるようにするための必要性から、片手持ち・両手持ちが基本となったということであろう。この説は一応なるほどと思えるものであるが、西洋中世の騎士たちも中国の武官たちも腰間に剣を帯していた点で日本の武士と変わらぬ条件にあったにもかかわらず、掴まれた手を自由にする技法の発展を見なかったのはなぜか、と疑問を提出しただけでこの回答は崩れてしまうのである。また刀剣を振り回している者の手を掴むなどということは大達人にして初めて出来ることであり、そうしばしば起きる事態ではないのである。それ故に西洋の騎士や中国の武官たちにとっても、そのような場を想定した技法など問題外だったのである。柔術諸流派における「手解」や合気の基本が「手取」から開始される本当の理由、それは日本人の格闘の仕方、ケンカの哲学、習慣、風習に由来しているのである。(引用 終り)
 
以上が、これから私の見解を述べようとしている記事である。(続)

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