「兵法百首」から読み解く「新陰流兵法」20
捧心は 見の目付と いいながら さて目に見えぬ 不思議なりけり
打太刀の 起これば易し 起こらねば その時迎 捧心の勝ち
捧心を 無と思う人の 兵法は 自由自在の 秘極成るべし
補足説明:捧心(ほうしん)とは、心の発するところを見るという目付のことです。すなわち、見えないものを見ようとする技術を説いています。敵が斬り出す前(動かない=空)だから動きが見えない、その見えないところを見ていきなさい、という教えです。『月之抄』には、具体例として「斬ろうと思う心が出れば、太刀の柄を握るものである。握れば腕の筋が張る、その張るところを見る、これは見えにくいがそこを見る」とあります。
さて、大東流合気柔術においては、重心の移動(崩し)を重視します。我の微細な力によって相手の髪の毛1本が揺れる、ここを見る稽古をします。慣れてくると見つめていなくてもわかる(感じる)ことが出来るようになります。目に見えて感じることができる稽古から、動きを消し(最小化)ていく稽古を積む中で感性が磨かれるものと思います。
迎にも 身と手と心 三つぞある 上手の上手 工夫あるべし
補足説明:迎(むかえ)とは、敵の斬りを引き出す(打たせる)技術の総称です。互いに隙無く構え合ったのでは、膠着状態になってしまいます。こちらから隙を見せ敵に仕掛けさせ、それに乗って勝つ、これが新陰流兵法の戦略なのです。
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