見出し画像

「合気道の歴史について」養正館長 望月稔(下)

「合気道の技術に就き、三つの特徴を指摘することができる。
1形式は柔術であるが、その考えと体の捌きは日本古剣法と全く同じである。
 すなわち、敵が我が手を捕らえたり、襟や袖を握ったり、または組み付いたりするのに対して、吾はこれを投げたり、ねじ伏せたり、当身を用いたりすることは、一般柔術とほとんど変わりないのであるが、その動作に対する考え方としては、例えば敵が素手で攻撃してきてもこれを素手と思わず、剣その他の得物で攻撃して来たものと見立て、まず第一に最も合理的な体捌きを行い、力と力の衝突を避けつつ敵の弱点、急所に対して吾が方もまた刀で切り込んだり切り払ったりする心で反撃、制圧するものである」。

解説 体捌に極意があると看破しているところがすごい。古流柔術の多くは上記で論じられる体捌がありません。少なくとも攻撃に対する自在な捌きを展開するという流派はないと思います。表芸の剣術と裏芸の柔術の違いから来るものでしょう。裏芸に徹すれば、決まった形稽古で足りるとされていたのだと思います。

「2手数は七百以上に及び各流派の柔術、剣術、棒術、唐手術等の技術が包含されている。
手数を仮に今、七百という数字を持って言うが、詳細に分ければおよそ無限という数をかぞえ得る。しかしこれを帰納するときはまた一つの「体捌」である。
元来「体捌」は日本の格闘技の重要なものとなっているが、特に柔術においては技術の生命であるが故に、ある時代においては柔術を体術と称したことさえある。要するに七百といい、千という技術の数は、「体捌」という一本の幹から、敵の攻撃法の千変万化に応じて生まれてきた技術である。故に各流派の技術が含まれているのも各流派から取り入れたものではなく、その根本に立脚しているがために、自然に各流の技術に関連し到達するのである。」

解説 ここで述べられている「技術」とは、大東流柔術を簡易化した大東流合気柔術の特徴のように読めます。植芝盛平は大東流柔術の一部と大東流合気柔術84か条御信用之手といわれる柔術を簡易化した技法を習っており、指導もしていました。「帰納する」体捌とは、主に手捌であり、「千変万化」とは、これに入身転身という足腰捌を加えることで、体捌が完成し自在な捌きが可能になるということです。
なお、植芝道場発行のパンフレットには「植芝盛平は、新陰流剣術、大東流柔術、相気流、柳生流、宝蔵院流槍術などを修行して、独自の工夫を加え精神技術面において、現代に即応した武道を創設した。」とありました。

「3「後の先」の練習法中より「合気先の先」の感を自得せしむる。
およそ剣道その他の日本武術の大部分が、型は「後の先」であっても実際練習法は「先の先」第一主義となっているので、その練習法から直接「先の先」の感が会得されるようになっている。しかるに合気道においては、従来「後の先」の型を反復練習する以外、乱取練習法や試合がない。すなわち「先の先」を直接教える方法がない。ただこの「後の先」の型の練習中、自分の心がけによって「先の先」の感を自得しなければならないのである。
この「感」について植芝盛平先生は「銃でねらっている敵が引金を引く瞬間の心が、そのまま吾に感じて体をかわすことができなければ真の武道家ではない。」と常にいわれていた。この「感」の習得が技術上合気最高目標である。この「感」の習得は、決して腕力や体力の「力」の養成や、技術の抹消のみに捕らわれていては会得できない。この「体力」と「技術」を乗り越えたところに「感の扉」が開かれているのであって、体力と技術がこの開かれた扉の前には石段の役目を務めるものの如くである。すなわち、「感の働」の別名を「合気」という。」

解説 「後の先」「先の先」の話は簡潔に記すことは難しいので、上記の「後の先」の中から「先の先」の感を自得するについて一言。稽古の最初にいわゆる構えを習います、この構えというのが実は難しく、ちゃんと構えれば、攻撃しているに等しい圧力を相手に与えることができ、実質「先」になっているということがあります。構えを体得したら、この構えを消していく、無構えを目指します、鶴山先生は「大東流に構えなし」と語っていました。
なお、「感の働」とは植芝盛平独自の説明だと思います。鶴山先生伝では、稽古によって、感性を磨く、直感力を鍛える、すなわち心で応じるように、という教訓があり、ほぼ同様のことを言っていると思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?