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合気評論14

大正4年 大東流柔術-武田惣角
 吉田幸太郎氏より紹介され柔術を習う。柳生心眼流には、体術・剣術・棒術があった。惣角先生の大東流にも同様に得物を使う技法があったことから盛平氏は関心をもったとされています。このとき教授代理の資格を得ています。
 
大正11年 真蔭流柔術-師範不明
 真蔭流柔術とは、天神真揚流柔術を破門された今泉八郎先生が真揚流の陰をとるという意味で真蔭流と称したもので、その形は天神真揚流柔術と大同小異です。盛平氏はすべての流派に対して3か月ぐらいの修得しかしなかった、といっていたようですが、真蔭流柔術にしても天神真揚流柔術にしても同系・同形ですから復習を兼ねての練習で、免許レベルに達したはずです。天神真揚流柔術は大東流柔術の原形のような技がたくさんあるからです。
 
大正13年 宝蔵院流槍術-師範不明
 
昭和14年 太極拳法-初伝理論を修得
 盛平氏は自信最高の頃、日華武道親善のため新京入し、神武殿で太極拳老師と試合し、突いてきた手に小手返を掛けたところ返されて、顔面を地面に叩きつけられ敗れました。その後、数日間八卦掌を中心に見学しました。植芝氏がこの時修得した八卦掌の技は早稲田大学体育教師の富木氏が現在も応用しているはずである。 

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