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骨法の堀辺が来た(続)7

(承前)ところで、明治時代になると地方の若者が職を求めて東京に集まってきた。彼らは武術に関して興味はあっても素養はない。榊原鍵吉校閲の『柔術剣棒図解秘訣』など武術解説書があったが、彼らにとっては難しい本であったようだ。こうした中、明治26(1893)年11月27日、天神真楊流五世孫・磯又右衛門正幸と同門の高弟吉田千春の共著『天神真楊流・柔術極意教伝図解』(国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。)が発行された。日本で初めて一般向け独習スタイルの武術解説書の出版に対し、榊原鍵吉は「その説くところ丁寧」と激賞したとのことである。当然、この本の読者は、講道館柔道は知っていても古流柔術については、見たこともなければ何の予備知識もない。そのため、古流である天神真楊流柔術「地の巻」に入る前の入門編として手解を含む項目を公開したのである。
この本は、当時の若者のニーズにあったものだったようで、41版(大正6年6月)を重ねる柔術入門書としてはベストセラーであった。この本のコンセプト“絵を見て独習ができ、役に立つ”という点が好評を博したのであろう。
なお、天神真楊流は楊心流と真之神道流を合併して作られたもので、真之神道流には初段之巻の前に「手解」とする逆手などを追加しているところもあったようである。いずれにせよ「手解」とする用語を用いているのは、私(鶴山先生)が知る限りこれら流派だけで、古流柔術における一般的な武術用語ではないことは明らかだ。私の調べでは、手解なる言葉が武道用語として出現し(公開され)たのは、この本が初めてであった。
堀辺氏からすれば、自分がでっち上げた骨法(広義の柔術に属する昔からの骨法とはことなるもの)を神代から始まる民族骨法として都合のよい、あるいは必要な主張なのだろうが、そもそも抜手を中心とする技法が諸流派柔術の第一教程である、とする主張には無理がある。(続)

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