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会津紀行10

前日は会津武家屋敷から白虎隊記念館に回る予定が、松平家の墓所に行ったため、時間がなくなってしまった。そこで、西光寺から最後に白虎隊記念館に行くことである。
途中、大坪先生が勝常寺に寄りたいというので、立ち寄る(西光寺から近い)こととした。大坪先生が寄りたいといった理由は、白虎隊記念館長の早川喜代次氏が一度是非寄ってくれと言ったからである。
大坪先生(当時78歳)が会津に来たのは今年3回目である。最初は横須賀の人たちと、夏は黒田市太郎先生(神道夢想流杖術を基にした警杖術考案者の一人、同杖術と(財)日本古武道振興会との関係から知り会ったものと思われます。)たちと、である。いずれも私が会津に行くということを、大坪先生がいろいろ吹聴している内、そちらが先になったのである。こちらは個人的問題があり最初なかなか予定が建てられなかった。問題の年内決着はダメと判ったので決行することにしたのが今回の会津旅行であった。
勝常寺の和尚はいなかった。ここにはウォーナー博士の記念碑(*)があるが、私には仁王門にあった阿形(あぎょう)の木像の方がよかった。暗いので写るかどうか不安だったが、照明でこのとおりキャノン。

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*ラングドン・ウォーナー博士は、1903年ハーバード大学卒、東京美術学校に留学、六角紫水教授の弟子。太平洋戦争中米軍の遺跡保護委員であった。戦後博士は六角恩師に「あっ六角先生、私どもが提出した爆撃しない遺跡リストの中には、東北では六角先生からいくどもよく教えられた勝常寺のある会津と中尊寺地方を入れておきましたよ。その会津にまさか先生が居られたとは気がつきませんでしたが・・・」と語ったそうだ。

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