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武術が人間性を高める-武田惣角と無筆のこと-

鶴山先生は、武田惣角の無筆・無学について次のように語っています。

明治元(1868)年惣角は9歳(数え)、会津藩の武士の子なら7歳で漢書の素読をするのが習わし、9、10歳なら立派な文字が書ける。志田四郎(後の西郷四郎)は足軽の子どもだが立派な文字を書き残している。私(鶴山先生)が惣角の無筆・無学を取り上げる理由は「武術が人間性を高める」ことの証左となるからである。大東流の修行によって、立派な、人に尊敬されるべき人間になった。
武道修行で最も大切なことは、相手をやっつける強さを追求することではない。自分の心に勝つことである、克己心(こっきしん)これは単なる我慢・忍耐ではなく武道を通じて人を教えられる人間になるということ。単独でいくら強くても、人を教えそれについてくる人がいなければならない。人望が伴うことの修行、それが楽しみにならなければ、本物の武術ではない。

惣角は単なる武術の達人ではなかった、だからこそ英名録に名を連ねる一流の人たちを魅了する何かがあったのでしょう。確かに、鶴山先生が残された大東流三大技法は、数々の教訓を内包する理論体術であり、兵法論に基づく術理展開があり・・・と、これを修行するには自ずと多方面の学問に触れることになり、結果としてそこそこの学が身につくことになると思います。
多方面の学問に触れれば、その道それぞれの凄さが判り謙虚にならざるを得ません。惣角も西郷頼母から耳学問として叩き込まれ(暗唱させられ)、さらに個別の技法を習った家臣達からも指導を受け、その後も精進したことでしょう。風格は一朝一夕に身につくものではありませんから。

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