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大東流の三大技法(続)15

北海道にいた武田惣角のもとに浅野正恭中将から「植芝盛平が東京で盛んに普及活動をしており喜ばしい」旨の手紙が届きました。植芝は惣角に、東京では門人を取っていない旨報告していたハズです。入門者からは10円の入門料を取り、その内3円は惣角に納入するという約束がありましたが、惣角への納入が無かったからです。

惣角が確認のため上京したところ、植芝が道場を開いて指導していること、がわかったのでした。惣角は激高しました。これに関する逸話はたくさんあります。惣角が植芝の道場を訪ね、面会を求めると植芝は居留守を使い、裏窓から逃げ出した。惣角の怒声はすごかった。道場の看板を持ち去ったなどです。なお、当時の避難先はいろいろあったようですが、藤田西湖の家に行くことが多かったようです。

ところで、惣角が怒った理由は二つありました。①入門料の支払いが無かったこと、②門外不出の江戸柳生系合気柔術を公開したことです。
そして、ついに植芝は惣角に捕まります。植芝は弁明に追われたことでしょう。普通なら、ここで破門というところ、惣角は奇策にでます。江戸柳生系合気柔術に代わるものとして御信用之手を教伝したのです。植芝の知っている柔術を簡易化した合気柔術では、不十分なのでそれを補う技法を教え、今後、江戸柳生系合気柔術ではなく、これを中心に指導せよ、という趣旨でした。

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