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皇武術

「皇武術」聞いたことがありますか?
植芝盛平の門人であった星哲臣が創設した武術です。

昭和8年に海軍関係者(竹下勇大将等)により設立された財団法人皇武会で行っていた合気柔術(合気道技法)のことを皇武会合気柔術と呼んでいました。
星は、その才能を生かし皇武会合気柔術の内容を巧みに掴み、様式化して、直線運動に集約して、合気柔術を全く知らない初心者でも覚え易いように構成し、皇武術としてまとめました。

さて、星は旧制中学校の教師をしており、柔道を教えていました。
彼の生徒に柔道部の主将であった湯川勉がいました。彼の父は海軍関係者でした。湯川は体が大柄で米俵(一俵=60kg)を両手に一つずつ持ち、タンバリンの如く叩いたという相撲取りのように大きな男であったそうです(別人の逸話との説もあります。)。
当時、「皇武会合気柔術は柔道より強い武術」というのがキャッチフレーズであったので、湯川は父の紹介で皇武会に入会しました。1年後恩師の星の所を訪ねてきた湯川は「柔道だと全く合気柔術の前では役に立たなかった。」と語りました。どんな技かと星と湯川が立合ったが星の柔道の技では歯が立たなかったそうです。

星は研究心が強く、自分が知らない技で極められたことから相手の手の内を知るため、湯川を介し彼の父の紹介で皇武会に入会しました。「生徒に負けるような先生では柔道師範が勤まらない。」ということが、その理由だったそうです。
星は、柔道家が皇武会合気柔術を破るため=合気柔術の速習用として、皇武術を作ったのです。
なお、皇武術は、講道館の高段者が夢中で習った、と言われています。
戦前の柔道と合気柔術の関係が分かる面白い話です。

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