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孫子勒姫兵

鶴山先生は合気之術の研究に伴い孫子についても分析されていました。今回はその中の番外編、「孫子勒姫兵(孫子、姫兵をおさむ=治め整える)」を紹介します。有名な話です。なお、文中「今日では、種々の考証から孫臏が兵法書『孫子』の著者とみられている。」とありますが、現在では孫武が著者とするのが通説のようです。

孫子の子というのは一家の学説をたてた人に対する尊称であるが、孫先生と呼ばれる人は二人いた、とされる。一人は、春秋末期(紀元前6世紀)の人で呉王闔閭(こうりょ)に仕えた孫武(そんぶ)のことで、もう一人は百余年後、戦国中期に活躍した孫臏(そんぴん)である。今日では、種々の考証から孫臏が兵法書「孫子」の著者とみられている。しかし、孫武が無関係とは言い切れないようだ。この孫武が呉王闔閭に初めて謁見したときの話が「史記」孫子呉起列伝に「孫子勒姫兵」として書かれている。
呉王:そなたの兵法書十三篇はわしも読んだ。しかし、言うは易く行うは難しという、試しにここで実際の練兵をやってくれ。
孫武:かしこまりました。
呉王:女性を使っても出来るか?
孫武:出来ます。
さて、そこで繰り出された宮中の美女180人を前にして、孫武は女性達を二隊に分けた。そして王の寵姫二人を各隊の隊長にして、全員に戟(ほこ)を持たせた。
孫武:お前達は自分の胸、左右の手、そして背中を知っておるか?
一同:はい
孫武:では、前と言ったら胸を見よ、左と言ったら左手、右と言ったら右手、後ろと言ったら背中の方を見よ
何しろ、普段宮廷の奥にあって、化粧とか衣装など着飾ることにしか興味を持たない女性のことである。規律だった行動など一度も経験したことがない。孫武は「右!」と号令を掛けた。女性達は互いに顔を見合わせてどっと笑った。
孫武:号令が徹底しなかったのは、将たる者、わしの責任だ
孫武はこう言って太鼓を打ちつつ「左!」と号令を掛けた。またもや女性達はどっと笑った。
孫武:号令が徹底しなかったのは、わしの責任である。しかし再度の注意で今度は全員が号令の意味を理解していたハズである。それなのに号令どおりに動かないのは隊長の責任である。
孫武は手にした鉞(まさかり)で二人の隊長を斬ろうとした。壇上で見ていた呉王はびっくりして、孫武に次の趣旨の伝令を飛ばした。「そなたが用兵の達人であることはよく判った。その二人の女がいなくてはわしは食事ものどを通らない、斬るのは勘弁してくれ。」これに対する孫武の返事は「将たる者が一たび命を受け、兵を率いたからには、君命といえども、お受けできかねることがあります。」であった。
すかさず、呉王の寵姫二人を斬って捨て、新たに二人の隊長を選び出した。
そして三度目、孫武が太鼓を打って号令を下すと、今度は左右前後と一糸乱れず号令どおり動き声を発する者もいない状態になった。

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