大東流の三大技法(続)3
武田惣角は、明治31年以降大正11年まで大東流柔術本部長という肩書きで指導していました。つまり、大東流柔術を中心に教伝していたのです。当初は、その指導も警察・裁判所など官立道場を中心とした短期講習会方式でした。まだまだ、治安が悪かった北海道・東北方面で柔道が普及する前、護身法(逮捕術)に対する潜在的需要は大きかったのです。体験された方は判ると思いますが、大東流柔術は非常に厳しい=肉体的にキツい技法です。現代人にもキツいものは、明治時代の人にとってもキツかったハズです。でも、彼らは趣味で習った訳ではありません。仕事の一環=官吏の研修として受講したのです。痛かろうが辛かろうが、仕事ですから逃げるわけにはいきませんでした。
ところで、柔術118本だけでずっと講習できたのか?
という疑問をお持ちの方もいるでしょう。それが出来るのです。柔術は、上記のとおりあらゆる術理をギュギュッと詰め込んでいますから、その術理を取り出して(分解して)指導することが可能なのです。言い方を換えれば、そうしないと内包された術理が多すぎて個々のものが見えない(認識できない)のです。実際、柔術を元ネタとして合気柔術84か条御信用之手(柔術の内84本を中高年が応用復習できるようにしたもの)を指導したり、長者の術として旦那衆に教伝したりしています。植芝盛平の『武道練習』も柔術を簡易化した応用技法すなわち柔術系の合気柔術の技法が図解されています。
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