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合気道の源流について(下)

大東流は元々会津藩が幕末に公武合体の哲理から考え出された「新やわら術」である。その立案責任者は、元会津藩家老西郷頼母であったと思われる。

武田惣角が伝えた最初の技法が有名な四方投である。合気武道と四方投は切っても切り離せないものである。大東流柔術5か条118本の中に四方投の術理が分解されて出てくる。全体のイメージは半球体であり、居捕・立合・半座半立・後捕の4線と1~5か条の5線の組合わせという構成である。なお、合気柔術は球体がイメージされている。

技法内容を見る限り、思想的には太子流兵法、歴史的には真之神道流・太子流、溝口一刀流、宝蔵院流槍術、天当流柔術などが、渾然一体となっているようだ。大東流の技法そのものは、陰陽一体(表裏一体)の法にかなっており、学識がなかった惣角では、その論理的組み立ては不可能なはずだ。

その系譜についても、武田惣右衞門から惣吉そして惣角となっているが、これは誤りであろう。西郷頼母→武田惣角→久琢磨→武田時宗が正しい。

調査の結果、会津藩には大東流の名前はなかった。西郷頼母の養子四郎が明治28年ごろ大東塾を開いていたが、大東流の名称に影響したのかも知れない。四郎は惣角の兄弟子というわけではないが、その普及活動をみると何らかの地盤協定のようなものがあったように思える。

大東流の伝承は、口伝兵法史のことで、武田武士の伝説を武田家由来記にすり替えたものであろう。蜘蛛之巣伝なども新羅三郎伝というが、兵法初学のものである。(完)

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