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槍と合気道18

その2
彼(元師範部長)は、これまで武道界(柔剣道など)の常識とされていた段位制の基準を打ち破った。彼は50歳にもならない年齢で合気道十段を許されたのである。

そこで彼は合気道十段の披露パーティーを開催し武道界の人たちを招待した。新興武道である合気道十段のお披露目ということで、在京の武道家たちは物珍しげに集まったが、意外に若い彼の年齢を聞いて皆目を白黒させたのであった。「柔道の三船久蔵は60歳を過ぎて、初の十段位となった、合気道の段位基準はどうなっているのか?」と多くの武道家に禁忌の批判を受けたという事実は、耳新しいことである。

合気道十段の披露パーティーを催した目的は、自己都合によるものであり、他の武道界とは関係がなく、また、段位制の改革でもなく、あくまで植芝合気道総本部の人たちのみをその基準としていた。

彼は、合気道最高位の十段を何が何でも世間(武道界)に公認させたかったのである。戦後の「合気道」の誕生からその発展(実像と理論づけ)に寄与した、すなわちこの「合気道」の創始者としての役割を果たしてきたことに、大きな自負心を持っていたのだ。彼が合気道十段なら植芝盛平先生は何段(18段か25段か)になるのだろう?

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