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大坪指方先生のこと5

大坪先生の指導も本当になって来た。これまで十数年お付き合いしてきたが、それまで隠してきたもの全てを次の世代の者へ伝えようとする熱意が見られるようになった。先生の体調が悪い(食事が関係しているのだと思う。)ということでもあろう。
新陰流は間が大切である。下條小三郎先生は「この大東流(柔術・柔術系合気柔術のこと)は間がないから、新陰流の如く間のことを覚えなくてはいけない。」と植芝盛平に対してよく言っていたそうだ。
では、新陰流の間とは何か?と開き直って問われると、説明解釈のしように苦しむ、容易ではない。

(ここから「間」について鶴山先生の博識、独自の展開が始まります。大坪先生の話からは外れますが・・・)

間については、「亡き人のこと 六代目菊五郎の思い出(寺島千代述 岸井良衛綴 演劇出版社)」の中に・・・  九世市川團十郎(明治天皇の御前で勧進帳を公演した)は、かねがね間には、「教えられる間と、教えられない間がある。」と言い、「教えて出来る間には『間(あいだ)』という字を書くが、教えても出来ない間には『魔』の字を書く。」と言っていた。そして「取分け大切なのは、教えられない魔だけれど、これは天性持って生まれてくるものだ。」というのが團十郎の持論だった。  ・・・とある。
いかにも一代の名優を自負した役者らしい言い分である。
長唄「研精会」の創始者で亡き吉住慈恭(よしずみじきょう)はこう語る。「では、間とは一体何かといえば、ある節から次の節へ移るまでの空間を言うわけで、その空間のとり方が大変難しいのです。」

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