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骨法の堀辺が来た(続)18

(承前T君のレポート)
換骨拳の歴史は以上のとおりですが、普通ならすぐにメッキが剥がれるであろう、このような流派誕生説になぜ堀辺氏が乗ったのか?という疑問が残ります。
私(T君)が読み解いた真意は次のようなものではなかったのか、と思っています。『換骨拳入門』で吉丸氏は・・・

「技術のない武道家は、いかにもそこに何かがある如くに見せ、また技術を持つ者はそれを教えぬことによって門弟を従属させるというような武道界で、真剣に道を求めて裏切られている多数の修行者がいるわけである」(36頁)これは佐川氏の教伝方法そのものです。

「その中で、真に教え得るものを持ち、更に名人と言われるより名師であろうと努力されている宗家の姿を見て、今、真正武術に志す者の期待に応え得るものは“一夢宗家の指導による換骨拳”の公開しかないことを痛感し、大東流伝合気道道場の廃止を決意し、宗家に対して換骨拳の一般公開を要請したのである。“みだりに人の師になるべからず。また、みだりに人を師とするべからず。必ず真に教うべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべし”と言われた吉田松陰先生を心の師と仰ぐ宗家は、熟慮の結果、私には真に教うべき文化(換骨拳)がある。また、人を教え導こうとする情熱において決して誰にも負けぬものがある、とついに公開を決意されたのである。」(36頁)

文中の“名師”とは、治療家としての名声のことで、同書にも堀辺氏の治療家としての実績が照会されています。堀辺氏は実力ある治療師にもかかわらず、その社会的地位の低さにコンプレックスをいだいており、社会的評価の高い徳川時代の武道の名声を利用し「武術と治療」のカラミを使って、自分の治療師としての地位を高めようと思った、このことが真意であった、と思った次第です。(T君のレポート終り)(続)

補足説明:T君のレポートが提出されたことは事実ですが、会報への掲載に当たって、かなりの部分に鶴山先生の加筆修正が施されたようです。後日、T君自身が不満そうに語っていたという手紙が残っています。「私(鶴山先生)自身は触れるつもりはない」と書きつつ、格好の題材が現れたので触発されたというか、火が付いたのでしょう。

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