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非力の養成の意義

非力(ひりょく)の養成については、たくさんのメモが残っています。
現在、非力の養成は合気道技法の基礎動作として知られていますが、
もともとは新陰流兵法の「猿廻」をマスターするための基礎鍛錬法であったのです。これに関する鶴山先生のメモを紹介します。

柳生流柔術が合気道技法の源流であるが、このことは研究すればするほど明確な事実となってきた。
さて、将軍、老中、若年寄クラスは城内で小太刀を帯刀しているが太刀は日常的に持つことはない。外出時も武家用乗物(高級な駕籠のこと)か騎馬での道中が原則であった。そこで、このクラスの人は護身法として無刀取りが必須であったのだ、この技法をマスターするには剣術から練っていく(尾張柳生)方法と、体術からもアプローチする江戸柳生方式があり非力の養成がその基礎技法だったのだ。
江戸柳生系合気柔術には表裏がある。他の古流柔術では筆者(鶴山先生)の知る限り、表の剣術に対する裏技の柔術という心得としての言い方はあるが、体術の技法を表裏として整理している流派は知らない。江戸柳生は宗冬以降秘密主義になりベールに包まれ、幕末にその全容は不明となってしまったが、江戸柳生系合気柔術のなかにそのエッセンスは引き継がれているのである。
ところで、老中、若年寄には将軍のボディガードの役割もあり、表技(剣術)をマスターしていなければならなかった。非力の養成で鍛錬することが剣術・体術(無刀取り)の効果的な稽古法であったのだ。柳生家は、将軍指南役として将軍自身の護身術と将軍を守るための剣術を指導する立場にあったことから、理論研究が求められ、また、講義の必要から説明文書をたくさん作製したのである。ここが尾張柳生と違う点である。

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